2010年02月26日 明日から展覧会です。 明日、2月27日(土)から3月4日(木)まで、神戸市中央区のトアギャラリーで、第7回清原絵画教室生徒作品展を開催します。「村」のお祭りです。村の人も、村の外の人も、遠い旅の人も、どうぞお越しください。たくさんの人のお越しをお待ちしています。そして、出品された方は、楽しい、あるいは美しい作品に囲まれた空間で、たっぷりお祭りを楽しんで、はじけてくださいね。がんばって描いた分、楽しんでくださいね。 タグ :練習用
2010年02月26日 展覧会前夜 昨日、教室生徒作品展の搬入・飾り付けを無事終えました。今年は生徒の出品点数56点。過去最高です。5人の搬入スタッフの協力を得て夕方6時から12時まで6時間かけて飾り付けを行いました。こうした飾り付けを「見せ方」と呼びますが、見せ方はとても重要です。例えるなら、、それはオーケストラの指揮。あるいは編集・レイアウト。あるいは構成。つまりギャラリーというキャンバスで、いくつかの(今回は56点の)絵画作品を使って絵を描くのです。そして、作ったものを供するということ。どんなにすばらしい料理でも、それが食べる人のもとに確実に届けられ、おいしいと思わせるまでが料理です。絵も、見る人のもとへ届かせる。そのサイクルの一環で絵を描くことが大切です。あなたの描いた絵が見る人を、あるいは自分をどう変化させるのか。あなたの絵が何を巻き起こすのか。それが大事です。それが美しいか醜いか、洗練されているか野暮なのかは、その次に来る問題です。絵はコミュニケーションです。対象世界と自分(制作者自身)を、自分と画材・道具という物質と、自分ともう一人の自分を、自分と大切な人を、自分とまだ会わぬ見知らぬ人を、そしてふたたび自分と世界とを、そして大切な人と大切な人を、見知らぬ人と見知らぬ人を、結びつけます。 タグ :練習用
2010年02月20日 あわや男子校(第2次描けこみ寺) 今日は描けこみ寺第2段でした。そしてメンズ日の峰とでもいいましょうか、男6人の教室になりました。これは珍しいと思っていたら、途中から紅一点の女性が来られて、間一髪で共学になりました。(ところでその方の描いている絵の題材は宝塚の男役でした。私は宝塚についてあまり詳しくはないのですが、例えば「戦場のメリークリスマス」とか「Uボート」みたいな、男しか出てこない話はやらないのでしょうか?)土曜日は男子が多いです。それと子供。清原絵画教室においては、女子供ではなく男子供という概念が、何となく存在しそうな気が、ふっとしました。さて、実はまだ描いている人が3人います。オリンピックも熱いですがこちらも熱いです。私は最後まで応援します。ガンバレ! タグ :練習用
2010年02月20日 KAVCの夜 今週の木曜日のKAVCは半ば駆け込み寺の様相を呈していました。夜の教室である生田教室と新長田教室の生徒さんが合流して、教室展に向けて最後の追い込みに入っています。ときどき、恐ろしいほど静まり返る瞬間があります。人数がいるのに。そんなとき私は、「来た」、と感じます。何かが降りてきた。空間に何かが宿った。と。高校3年の頃、神戸大学の古い洋式建築の図書館に潜り込んで受験勉強をしました。暗い講堂のような図書館の自習室。夜。外は雪。ストーブが燃えています。ストーブの燃える音が響き渡るくらい静まり返っています。ごくときたま自習室の片隅でひそひそと話す声がします。すると部屋の反対側の隅から、おーい、静かにしろや!という怒声がするのでした。高校生の私は、よくそれに心の中で拍手を送った記憶があります。びびりながら。先日のKAVCの夜はそんな雰囲気を思い出させるものがありました。 タグ :練習用
2010年02月13日 描けこみ寺 速報 2 今日は皆さん、展覧会に向けてがんばっています。できるだけ「実戦」に近いところで仕事すること。それが大切です。ふだんいい絵を描けていても、それが人に受け取られるとなると、色々な思いが渦巻きます。実は、この渦巻く思いこそ、芸術に関する困難の大きな要素なのです。このことには、どんなに優れた技術をもったプロの芸術家も、古くから悩んできたと思います。自分が発したメッセージが、誰かに何らかの形で影響をもたらすこと。この前提に立脚して表現というものを考えたいと思います。私とて、裸になることは難しいのです。色々に装甲しなければ声を発することができない自分。恥ずかしい。裸になれないことが恥ずかしい。芸術は、素晴らしい技の品評会ではありません。大勢に向かい合って「いや、だけど俺は…」ときっぱり言えるかどうか。話を戻します。素晴らしいスキルを積み上げることよりも、他者に向かってコミュニケーションをとることが大切です。他者の声と自分の叫びのアウフヘーベンの中で、自分の本当の思いを他者と共有すること。それが芸術の醍醐味であり、使命だと思います。逆にいうと、他者との間で、真に噛みあったコミュニケーションがあれば、すぐれた技など要らない。必要以上の技はオタクです。昔から、ディレッタントと呼ばれて馬鹿にされてきた行為です。そういうわけで「実戦を前提とした制作者集団」、清原絵画教室の生徒さんたちをそのように定義したいと思います。作品がだいぶ集まってきましたが、まだがんばっている人もいます。暖かく見守り、応援したいと思います。あともう一息、がんばってください!楽しみにしています。 タグ :練習用