清原絵画教室のブログ

神戸で絵画を学ぶ。初心者からプロまで。

2010年02月

イメージ 1
明日、2月27日(土)から3月4日(木)まで、

神戸市中央区のトアギャラリーで、

第7回清原絵画教室生徒作品展を開催します。

「村」のお祭りです。

村の人も、村の外の人も、遠い旅の人も、

どうぞお越しください。

たくさんの人のお越しをお待ちしています。

そして、出品された方は、楽しい、あるいは美しい作品に囲まれた空間で、

たっぷりお祭りを楽しんで、はじけてくださいね。

がんばって描いた分、楽しんでくださいね。








イメージ 1
昨日、教室生徒作品展の搬入・飾り付けを無事終えました。

今年は生徒の出品点数56点。過去最高です。

5人の搬入スタッフの協力を得て夕方6時から12時まで

6時間かけて飾り付けを行いました。

こうした飾り付けを「見せ方」と呼びますが、

見せ方はとても重要です。

例えるなら、、それはオーケストラの指揮。

あるいは編集・レイアウト。あるいは構成。

つまりギャラリーというキャンバスで、

いくつかの(今回は56点の)絵画作品を使って絵を描くのです。

そして、作ったものを供するということ。

どんなにすばらしい料理でも、それが食べる人のもとに確実に届けられ、

おいしいと思わせるまでが料理です。

絵も、見る人のもとへ届かせる。

そのサイクルの一環で絵を描くことが大切です。

あなたの描いた絵が見る人を、あるいは自分をどう変化させるのか。

あなたの絵が何を巻き起こすのか。

それが大事です。

それが美しいか醜いか、洗練されているか野暮なのかは、その次に来る問題です。

絵はコミュニケーションです。

対象世界と自分(制作者自身)を、

自分と画材・道具という物質と、

自分ともう一人の自分を、

自分と大切な人を、

自分とまだ会わぬ見知らぬ人を、

そしてふたたび自分と世界とを、

そして大切な人と大切な人を、

見知らぬ人と見知らぬ人を、

結びつけます。














イメージ 1
今日は描けこみ寺第2段でした。

そしてメンズ日の峰とでもいいましょうか、

男6人の教室になりました。

これは珍しいと思っていたら、途中から紅一点の女性が来られて、

間一髪で共学になりました。

(ところでその方の描いている絵の題材は宝塚の男役でした。

私は宝塚についてあまり詳しくはないのですが、

例えば「戦場のメリークリスマス」とか「Uボート」みたいな、

男しか出てこない話はやらないのでしょうか?)

土曜日は男子が多いです。それと子供。

清原絵画教室においては、女子供ではなく男子供という概念が、

何となく存在しそうな気が、ふっとしました。

さて、実はまだ描いている人が3人います。

オリンピックも熱いですがこちらも熱いです。

私は最後まで応援します。

ガンバレ!














イメージ 1
今週の木曜日のKAVCは

半ば駆け込み寺の様相を呈していました。

夜の教室である生田教室と新長田教室の生徒さんが

合流して、教室展に向けて最後の追い込みに入っています。

ときどき、恐ろしいほど静まり返る瞬間があります。

人数がいるのに。

そんなとき私は、「来た」、と感じます。

何かが降りてきた。空間に何かが宿った。と。

高校3年の頃、神戸大学の古い洋式建築の図書館に

潜り込んで受験勉強をしました。

暗い講堂のような図書館の自習室。

夜。

外は雪。

ストーブが燃えています。

ストーブの燃える音が響き渡るくらい静まり返っています。

ごくときたま自習室の片隅でひそひそと話す声がします。

すると部屋の反対側の隅から、

おーい、静かにしろや!

という怒声がするのでした。

高校生の私は、よくそれに心の中で拍手を送った記憶があります。

びびりながら。

先日のKAVCの夜はそんな雰囲気を思い出させるものがありました。










イメージ 1
今日は皆さん、展覧会に向けてがんばっています。

できるだけ「実戦」に近いところで仕事すること。

それが大切です。

ふだんいい絵を描けていても、

それが人に受け取られるとなると、色々な思いが渦巻きます。

実は、この渦巻く思いこそ、芸術に関する困難の大きな要素なのです。

このことには、どんなに優れた技術をもったプロの芸術家も、

古くから悩んできたと思います。

自分が発したメッセージが、誰かに何らかの形で影響をもたらすこと。

この前提に立脚して表現というものを考えたいと思います。

私とて、裸になることは難しいのです。

色々に装甲しなければ声を発することができない自分。

恥ずかしい。裸になれないことが恥ずかしい。

芸術は、素晴らしい技の品評会ではありません。

大勢に向かい合って「いや、だけど俺は…」ときっぱり言えるかどうか。

話を戻します。

素晴らしいスキルを積み上げることよりも、

他者に向かってコミュニケーションをとることが大切です。

他者の声と自分の叫びのアウフヘーベンの中で、

自分の本当の思いを他者と共有すること。

それが芸術の醍醐味であり、使命だと思います。

逆にいうと、他者との間で、真に噛みあったコミュニケーションがあれば、

すぐれた技など要らない。

必要以上の技はオタクです。

昔から、ディレッタントと呼ばれて馬鹿にされてきた行為です。

そういうわけで「実戦を前提とした制作者集団」、

清原絵画教室の生徒さんたちをそのように定義したいと思います。

作品がだいぶ集まってきましたが、まだがんばっている人もいます。

暖かく見守り、応援したいと思います。

あともう一息、がんばってください!

楽しみにしています。

↑このページのトップヘ