2010年05月29日 インターナショナルな教室 KCCミント教室は、今、国際色豊かです。5月の後半から、2人の外国人が増えました。現在、アメリカ、スイス、ドイツ出身の外国人が楽しんでおられます。描かれる絵の色遣いも、何となくお国柄があるようです。絵は言葉の垣根を越えて、異文化が触れあうコミュニケーションです。これを大事にして、だんだんこの輪が広がればいいなと願っています。 タグ :練習用
2010年05月22日 おおらかな世界 杣太一郎君(小2)の作品です。能面の写真を見て描きました。伝統とは、常に新しいもの。つまりアートと同じである。そこに生命があふれているもの。新しい希望を与えてくれるもの。遠い彼方に、きっと到達できると思わせてくれるもの。日常の裂け目から、恐るべき戦慄とともに訪れてくるもの。恩寵のように、福音のように、霹靂のように、雷鳴のように。日常見たこともないものなのに、ああ、これは真実だと信じずにはおれないもの。己を笑い飛ばす爆風。そしてこのお面のこの顔は、なんとおおらかなことでしょう。私の心も、この面のように、この絵のように、こだわりなく、屈託なくありたいと願います。伝統に目を向け、伝統を愛し、伝統を自分のものにし、新しい生命を与えた、太一郎君の、このような絵をすばらしいと思います。私は一度、ルーブル美術館に行ったことがあります。ある憂鬱を抱えていた、窒息しそうな閉塞の時期です。自分を平面の人間と任じ、フェルメールとレンブラントの絵を見るぞ、と勇んで行ったのに、ふと足を踏み入れたルネサンス彫刻から始まり、ゴシック、ロマネスク、クラシック、エトルスク、アルカイックといった彫刻展示に心を射抜かれ、釘づけになり、歴史を遡るにつれ、その輝きが増すのを感じ、夢中で古代までむさぼり見ました。そしてついに、紀元前2000年頃の、メソポタミア彫刻に至って、私の歓喜は絶頂に達したのです。あなた、小さいことに思い悩みなさんな。あなたの悩みなど、芥子粒です。小さな土偶に、そう言われた気がした。閉館時間。誰もいない古代彫刻の陳列室。ああ、僕は古代人と会話した…フェルメールもレンブラントも見れなかった。でも、もうどうでもよかった。あの土偶に比べたら、バロックの至宝の、なんとちゃちいことか。その瞬間、確かに私はそれほど満たされたのでした。太一郎君のこの絵を見ながら、ふとそんなことを思い出しました。 タグ :練習用
2010年05月22日 どやしつけてくれる1枚の絵画 杣太一郎(小2)の作品です。私はこの作品に、人間のすばらしさへの信頼を回復させてくれる力を感じます。私をどやしつけてくれる人。どやしつけるに足る奴だと思ってくれる人。この像をじっと見ていると、お前はまだ高く登れるはずではないか、目を覚ませ、自分の力を思い出せ、馬鹿野郎。と言っているように思えてきます。汝、高潔であるべし。私は、日の峰教室に来るキッズはアーティストだと思っていると、再三言って来ましたが、太一郎君も、私を高みへ連れ出してくれる、このような作品を描いてくれました。子どもには、十分な出力のスキル、説明力がない。けれども、作品が内蔵する爽快で勇壮な世界は、大人に負けていないと思います。あなたは本来、こんな風にきれいだったはずではないですか。いじけちゃいけません。汝、自らの力、過少にみくびるなかれ。何をみみっちい調整、つじつま合わせに拘泥しているのか?すねてないで、寝転んでないで、シャイにはにかんでないで、早く立ち上がって自分の仕事をしろよ、馬鹿野郎。覚醒を呼ぶ1枚の芸術。南無。 タグ :練習用
2010年05月22日 伝統の継承 杣太一郎君(小2)の作品です。能面を見て描きました。私は、この絵に、精神の伝統の継承を感じます。矮小な俗世をまるごと肯定しながら、おおらかな高笑いで笑い飛ばし、我々をここではないどこかへ、遠く高い場所に連れ出してくれるもの。私はそういうものをアートと呼んでいますが、能面にはそんな高笑いが満ち溢れており、そして、太一郎君の絵にもそのような笑いがあり、私を元気にさせてくれるのです。私は、この絵の中に、そうした伝統の核心のDNAが流れているのを感じます。アートがどうでなくてはならないかという要件を備えていると感じます。 タグ :練習用