清原絵画教室のブログ

神戸で絵画を学ぶ。初心者からプロまで。

2014年04月

ジオログ終了に伴い、Yahooブログに移行しました。
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よろしくお願いいたします

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5月のカレンダーが出来上がりました。
ゴールデンウィーク等に伴い、変則スケジュールになりますので、ご確認よろしくお願いいたします。

ミント教室、第1木曜日→第5木曜日
日の峰第1・3金曜、土曜→第2・4金曜日、土曜日
三宮教室第2,4火曜日→なし

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エコバッグ展示会場のキャップカフェさんで、絵を描き始めました。

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今日はキャップスタジオY3の中にあるキャップカフェで、4/2(水)から始まる手描きエコバッグ展の飾り付けをやってます。4/29(火・祝)まで1ヶ月の間に少しずつ作品を描いて、増殖させていこうと思います

結局自分は、「記憶」という主題にとりつかれている。

アバンギャルド(前衛)を模索しても、アバンギャルドのためのアバンギャルドなどむなしい。

「アバンギャルドを模索する」とは、「人が、驚くような覚醒体験をもたらすような実践を探すこと」であり、「人が、驚くような覚醒体験をもたらすような物体を作ること」だと言って差し支えないだろう。

美術において、それが斬新な意匠のバリエーションの提示にすぎないのだとしたら、それはむなしいのである。それはアバンギャルドのためのアバンギャルドである。

そのような意匠と様式の追求はデザインが果たすべき仕事である(無論デザインはとても重要なものだ)。

美術が果たすべきは、人の驚くべき覚醒である。

その機能が果たされるのであれば、意匠や様式が損なわれていてもその仕事はすぐれているというべきだろう。

私は未知なる未来を志向するのではなく、記憶を探索すべきなのだ。

記憶の奥の奥の奥の方に、黄金境はある。

私を記憶の探索者たらしめた第一の衝撃はジョルジョ・デ・キリコであった。14歳のとき、中学の美術の副教材で「街の憂愁と神秘」を観たときの不思議な衝撃を私はキリコ体験と呼ぶ。

未知への冒険は未来にあるのではなく、遠い過去に強烈に存在しているのだと最初に教えてくれたのはキリコである。

第2の衝撃はエドワード・ホッパーである。
アメリカに行ったことがないのに懐かしい。分かる。

手描きエコバッグの展示会が近づいており、今、それにむけてバリエーションを作っているが、意匠の追求、あるいは装飾性の追求に、自分はわくわくしないのだ。

私がわくわくするのは、車で旅をしているときにふいに出現する風景の異様さに出くわしたときである。人から見れば何の変哲もない風景が、私には異様に、あるいは快楽的に迫ってくる。

神が映写してくれた幻燈のようだ。そのとき私は一人で戦慄し、郷愁を覚え、陶然となる。

今、私は自分を「記憶の探索者」と自己規定したいと思う。
自分の仕事を、もっとそちらに特化すべきだ。

音楽のブライアン・イーノは第3の衝撃といえる、私の心の師である。

https://www.youtube.com/watch?v=D3GjVlnQm1A&list=HL1396055268

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