清原絵画教室のブログ

神戸で絵画を学ぶ。初心者からプロまで。

2016年08月

本日、清原絵画教室の対象年齢を15歳以上に引き下げました。

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アートピクニックについての思い付き その2

先日、夜の須磨水族園に行って来た。

美術をやる人間にとっていろいろ刺激があり、飽きなかった。

デッサン、特にフォルムを追求する人にはおおいにおすすめの場である。

いや、色に関しても面白いのだが、ここは形に焦点を当てたい。

たとえばプロダクトデザイン(車、家具、家電、文房具など)のデザイナー、陶芸家、彫刻家は水族館で写生しまくるといい。腕のいい意匠家になるだろう。

怪獣もの、戦隊もの、ロボットアニメのキャラクター造形家もここで勉強するといい。初代ウルトラ怪獣、ウルトラセブン怪獣をしのぐことができるかもしれない(
この2シリーズの怪獣は他の追随を許さないと思う)。

(小さい声で言うが、特撮文化、アニメ文化、怪獣・モンスター文化、メカの創造者ならば、そして創造する階級、制作者の充実感を思う存分謳歌したいなら、水族館や昆虫館で観察し、その機能美を吸収、血肉化したフォルムを自作のキャラに導入すればいいのだ。フォルムの追求においてナルシス空間に充足しているからマニアには受けても大衆の支持を得られない。いつまでたってもオタクというラベルが貼りついたままなのだ。おそらく世界観の深さにおいて、オタク文化は強度を持っている。高い文学的価値と観念世界を有している。しかし視覚的なデザイン、形態感覚については自閉している。先行デザインのオートマチックな焼き直し。悪しき観念的傾向。)

とにかく水族園。そこは美しいフォルム、こうあるべきフォルムというものの宝庫だ。

5分づつぐらなら写生させてくれるかもしれない。5分×10枚~20枚の鉛筆スケッチに特化したアートピクニックがあってもいいかもしれない、という思い付きであった。

午後は須磨周辺や塩屋周辺でスケッチか。









アートピクニックについての思い付き その1

野外活動が人気を集めている。

人、特に都市生活を送る多くの現代人は、屋外に出たい、または旅をしたいという願望を持っている。

登山、トレッキング、探検、ハイキング、バックパッカー(長距離自由旅行)、遍歴放浪、お遍路、修験道など、いろいろな形で人は家を出る。

日常の拘束を解いて、限界を超えて、何か別の地平に辿りつきたいという本能か。そして出発の際には、それが何かは分からないが、大切な物事ににぶつかるに違いないという「祈願」を背負っていると思う。

今日テレビで、海外のゲストハウスでバックパックを背負った探検家たちが一つの部屋で地図を見ながらおしゃべりしている場面を見て、野外旅のスペシャリストとしての美術家を想像してみた。

野外活動のエキスパートがアートのエキスパートを兼ねること。

そして野外の追求と美の追求が同居しているコミュニティがあったら面白いと思った。

ワンダーフォーゲル部と美術部が合体しているような小世界。

そういう「道」みたいなものがあると面白いかもな~と。そこではアートを愛する人間が、同時に野外活動にも詳しくて、それぞれの技術体系が整備されていること。

野外活動は基本的にアウタートリップ(外への旅)を軸とし、世界を観察し分析しようというオブジェクティブ志向(外的対象に興味や意図が向くこと)でありながら、お遍路や修験道を含む巡礼に見られるようなインナートリップ、つまりサブジェクティブ志向(主観的、観念的なものに興味や意図が向くこと)も有している。

一方、アートは観念的要素を強く持ち、インナートリップを軸としながら、事物の観察や分析へと向かうオブジェクティブ志向も有している。風景写生という名の観察はオブジェクティブ志向の一部である。

アートピクニックは、軽い散策である。そして社交としてのティーパーティである。しかし、潜在的には「旅・野外活動・冒険」と「芸術」が出会い、融合を果たす道の出発の場でもある。

アートピクニックは、旅好き、野外活動好きといったワンダーフォーゲル部員、そして芸術好きの美術部員、そして社交好きな人たちのたまり場となり、お互いを刺激し、お互いの中にそれぞれの良さが浸透すれば素敵だと思うし、可能だとも思う。

この思い付きを得たのには、先日茶会に出たことも関係しているようだ。茶は器、軸、着物、庭、調度、建築に美を追求する世界であると同時に、味覚の追求、主と客の行動様式の追求の世界でもある。これらの異なるベクトルの志が、茶の「道」という一つの概念の中にパッケージとして収納され得るということが面白い。

この茶の道の方程式は、上記の「美、野外、旅、社交」をパッケージ化できることを暗示している。さらに一つ加えるなら、「日常と非日常を行き来する方法論」も。

ドイツ語ワンダーフォーゲルは直訳すれば渡り鳥であり、ギターを奏で歌うことが活動の一環だったこともあり、「さえずり」との関連で名付けられたともいわれる。

芸術家は旅せよ、ということか。渡り鳥のように。

そういえば、私の美術家としての、表現者としての感覚を養成したのも、若いころのささやかな旅の経験かもしれない。

19歳の夏、1か月バックパッカーとして中国西域を旅した。24歳の秋、2か月半ブラジルを旅した。いずれも(ほぼ)一人旅である。

その旅の中で、個としての自分が問われたように思う。

あるいは、大学を出てから約3年、淡路島、小豆島、千葉、横浜、愛知三河と色々な土地で暮らした。

25歳から東京で美術を始めたが、むしろ表現の核はその前の放浪じみた生活の中で培われたのかもしれない。組織の中で生産活動に従事するのではなく、ニートでありモラトリアムである自分に、自らの価値観、世界とどう向き合うのか、自分の存在理由などの問いが否応なく襲ってくるために、曲がりなりにも自分で組み立てる癖がついた。もちろん十分ではないが。

ちなみに、旅行会社の用意したパックツアーではおそらくその感覚は養えないだろう。ディレッタント(愛好家、受容者)としてのデータを得られはしても、表現者(標榜する者、発信者)としての感覚は磨けないと思う。

あと、美大に行ってたら、やはり表現者にはなれなかったかもしれない。うまい技術者にはなれたかもしれないが、それは表現とはまた違う能力である。


日の峰教室の木ノ村美紗さんがしあわせの村ちびっこ絵画コンクール奨励賞を受賞しました。祝意を表したいと思います。おめでとう! 


作品展示
平成28年7月20日(火)~8月25日(木)まで
しあわせの村 温泉健康センターエントランスホール

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