清原絵画教室のブログ

神戸で絵画を学ぶ。初心者からプロまで。

2016年12月

壱時間素描2-43 オオミソカイガ
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あと数時間で終わります。今年が。このブログを見ていくださっているみなさん、ありがとうございます!みなさんには大変お世話になりました。
来年、無明を切り裂き、良い年にしましょうね。
健康とご活躍を祈願しています。良いお年をお迎えください!

/清原健彦

壱時間素描2-42-1 年末絵画(御堂筋)
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ホセ
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壱時間素描2-42-2 年末絵画(遠山郷)
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ホセ
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壱時間素描2-42-3 年末絵画(遠山郷)
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ホセ
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今年も残すところあと2日となりましたね。
彦山のブログならびに壱時間素描におつきあいくだり、本当にありがとうございました。独り言をつぶやくところとして、まあとりとめもなく色々書きましたが、だいたい毎日20名の方がご覧になっているようでして、エキセントリック(偏向の強いさま。ネットで意味を調べますと「普通のものとひどく変わったさま。風変わりなさま。奇矯。」と出てきます。)なわたくしの文に粘り強くおつきあいいただき、本当に貴重な読者さんたちと感謝しております。やはりみなさんの存在には励まされるのであります。

みなさんは今年はどんな年でしたか?

わたくしは「2016年は壱時間素描が始まった年として重要な年である」と言えるようになりたいと思います。まあ、それは今後の精進次第ですね。

多くの人の暮らしに芸術をお届けするはずの「彦山」。そのブログが甚だ代表個人の趣向に傾いているのはどうなのか?という自問自答はありますが、次の2点において「よし」とし、来年も極私的傾向を続けたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

①芸術活動は大衆向けに開発されたり、人々に親切にすることを期待されてはいない。(いや、多くの人はそれを期待しているのですが、芸術表現を志す者はそれに迎合することには慎重になった方がよい。それは本質的には娯楽が受け持つ機能です。)
②ゆえに、きわめて個人的趣向に傾いた姿をデモンストレート(提示)し、同様の方程式にあなたの思い(個人的趣向)を代入することで芸術生活の促進を試みていただきたい。すなわち、みなさんもブログやソーシャルネットワークサービス(ツイッターやフェイスブックなど)に投稿してはいかが?と。

手順は以下の通りです。
1. 家庭用スキャナーを入手し、パソコンにつなぐ
2. 無料ブログのアカウントを取得する
(これの応用版はpixivなどのイラスト投稿サイトに登録)
3.ブログを始める。ネットや本で操作の仕方を学ぶ。
4.絵を描く(ぜひ1日1時間、トライしてみてください)
5.描いた絵をスキャナーで取り込む
6.スキャンした絵をブログにアップロード(投稿)する。

★あ、でも「写メで撮ってSNS投稿する」はもっと早くて簡単ですね。ツイッターやフェイスブック、ラインでやってみるのも面白いと思いますよ。最近のスマホカメラはほんと高性能です。

/清原健彦


彦山通信弐号が進んでいます。編集作業があともう少し。
1月後半発行予定です。
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/清原健彦


壱時間素描2-41 張切少女
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壱時間素描はわたくしが幼時、広告の裏に飽かず何枚も何枚も絵を描いていたことを思い出させます。誰に見せるわけでなく、自分のビジョンを追いかけていました。それによって、自分の人生を方向づける何かを形成したのかもしれません。それは現実に存在しないビジョンを思い描く訓練となり、描画によってビジョンが形になることを、体験的に知らせるものだったと思います。反復の蓄積がコントロールの獲得に至ることも、専らスキルは自ら即興的に掴み取るものだということも、わたくしはそこでそういう風に学習しました。

「張切少女」は自分や人を高テンション(張り切って力がみなぎっている状態)に導くプログラムだと言えそうです。(※こういう言い方「〇〇になりそうです」をするのは、プログラムによって描くことに、ちょっと警戒感というかためらいがあるからです。それは自分を含む人々を「さあ」、と励ますプロパガンダになる可能性があります。それは自分の考えを押し売りする、芸術よりも一段次元の低い行為です)

さて、プログラムを研究、追求と言い換えてもう少し考察してみましょう。

いかにして「みなぎる力」を発生させる絵画を可能たらしめるか。

人が真に熱狂的な推進力で躍動するために、とびきり元気でかわいい少女が「元気出してね!」と応援すれば十分、と考えるのは素朴な楽天家です。

本当の安堵と噴き出す熱情は、たとえば次のような事柄の後に得られるでしょう。
①自分が為した罪悪が解消し得ると考えることができた時
②困難、不吉、抑圧、恐怖、悲嘆の影響を受けず、それらの上位に位置すると考えることができた時、など

そしてそのようなメッセージを、明確に示すのは芸術では「ありません」。それはイラストレーションであり、プロパガンダであり、伝達です。

人が本当に電撃に撃たれるのは、自らその考えを発見した時です。
こう考えるべきという、「評価」を与えられても、それがその人の推進力になることはありません。
したがってメタファー(暗喩)、象徴、あるいはヒントによって、鑑賞者の中にある何物かを呼び覚ますことが、表現者が採用すべき原則的な戦術であろうとわたくしは考えます。

謎の解説は作品の力を減じますが、今日の壱時間素描をあえて補足説明します。わたくし自身が、説明することによって考察を深めたいからです。

背景で不穏、抑圧、因習、呪縛などを暗示する。たとえばこの絵の場合、嵐や因習的集落を連想させるもの。
その前景に明るい少女を置く。鼻歌を歌うような屈託のなさの提示。ただしイラスト的に明示しない。説明的になれば押し付けになる。
抑圧的ネガ世界の中に、屈託のないポジ世界が存在していることを示す。
説明ではなく、造形的要素(色や形やボリュームや筆致)がその仕事の大半を負うように努める。音楽づくりであれば、作詞ではなく、作曲に重きを置く。映画ならセリフまたは脚本ではなく、カメラワーク、映像のタッチや音楽、美術、アングル、スピード、編集など。

ホセ
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/清原健彦

案内状のはがきができてきました。
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2000枚あります(うしろは制作中の100号油彩)。

第14回清原絵画教室展↓
日時:平成29年2月25日(土)~3月2日(木)11:00~19:00(最終日16:30)
場所:トアギャラリー 神戸市中央区北長狭通3-12-13(トアロード・JRより北へ100M西側)http://blogs.yahoo.co.jp/hcpqm713/14841805.html
/清原健彦

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