清原絵画教室のブログ

神戸で絵画を学ぶ。初心者からプロまで。

2018年01月

清原絵画教室は、第15回清原絵画教室展を以下の通り開催致します。
イメージ 1
清原健彦  エリカ 333×242mm 水彩紙に水彩、ガッシュ、トレーシングペーパー、鉛筆、油性ペン 平成29年

第15回清原絵画教室展
KIYOHARA ART CLASS EXHIBITION No.15

「すぐれた美術家の育成」を目的に掲げた新生清原絵画教室の第1回展です。
ご高覧いただければさいわいです。

■日時 
平成30年2月24日(土)‐3月1日(木)11:00-19:00(最終日16:30)

■場所 
トアギャラリー 
住所:〒650-0003 神戸市中央区山本通2-11-7
TEL/FAX: 078-242-2259

■会期中企画(場所:トアギャラリー1階)
2月24日(土)
16:30- ギャラリートーク「アイデンティティ・美術・生活」
     話者:清原絵画教室主宰清原健彦と生徒
18:00- オープニングパーティ(参加費1000円要予約)

2月26日(月)
16:30- ギャラリートーク「絵画教室の近未来を探る」
         話者:清原絵画教室主宰清原健彦

■清原絵画教室 
電話:090-6587-3695

■主催者あいさつ
このたび、第15回清原絵画教室展を開催する運びとなりました。
当教室は平成29年4月「すぐれた美術家の育成」という活動目的を掲げ、美の生産者側に立つ教室として第一歩を踏み出しました。

平成14年製の遊覧船を昨年改造したこの小さな探検船が初めて寄港し、その成果を披露するのがこの展覧会です。

「この船に旅客はおらず、全員が百戦錬磨の冒険者です」と言いたいところですが、我々はまだ未熟です。海の男(女)として成長するための多くの関門を潜り抜けるのはこれからです。しかし強い船になろうと思います。このゲームを戦うための皆様の最高のお力添えとしてぜひ足をお運びいただき、作品をご高覧いただければ幸いです。

■清原絵画教室ホームページ 主宰あいさつ

/清原絵画教室主宰 清原健彦

今日は精神のご馳走の日でした。美術館とギャラリーをめぐりました。
イメージ 2

1.兵庫県立美術館/県美プレミアム/JAPAN KOBE ZEROの軌跡
1969年、加納町交差点近くにあった画材店美専堂3階で発足した洋画研究所〈0〉。デッサン教室です。1970年、JAPAN KOBE ZEROという先鋭的なグループが、そのデッサン教室の中から生まれたのが興味深く、当時の研究所パンフレットなどの資料展示を食い入るように見ました。今、絵画教室主宰という似たような状況に自身が置かれているために、他人事とは思われなかったのです。(ちなみにその頃私は4歳でした)。

↓兵庫県立美術館 JAPAN KOBE ZEROの軌跡 動画  
現在の清原絵画教室はまあ穏健的と言ってさしつかえないでしょう。そのような環境の中から、ひと暴れせずにはいられない若者たちが(さしずめ成人式で暴れたいみたいに?)出現し、暴発気味にハプニング芸術をくりひろげたとしたら、なかなか興味深い状況です。「それを牽引したのが、武蔵野芸術大学出身で、当時30歳になったばかりの古川清。温厚な性格もあって、松井憲作、榎忠たち若手のリーダー役を務めた」と展覧会リーフレットには記載されています。ここで教室主宰・講師である私の関心はリーダー役である古川氏に向かうのでした。いやしかし温厚なだけでは実現しないよ、と私は思いました。覚悟と言うか、最終的にはかぶるというか、肝が座ってないとできない。映像を見ていても、当時日本中で展開していたであろう無数の前衛美術グループ同様、それは革命志向の強い運動体だったことがうかがい知れるのですが、集団としての運動がいきいきと機能するためには、情熱の強さや感性の豊かさや制作上、表現上の理論の確かさだけでは不十分だと思いました。明治維新がそうであるように、さまざまな個性の持ち主の集まりが、整然と組織化されてなければ革命は成立しない。そして組織化の根底には各メンバーの秩序意識や規律や責任感が必要でしょう。私はリーダー古川清氏が1973年に脱退するまでの3年間が、JAPAN KOBE ZEROにとって特に濃密な期間だったように推察しました。革命の目標は自由の獲得でしょう。そのような目標を持った数十名の集団に秩序意識や規律や責任感を持たせるのは、リーダーとしてはだいぶ難しい仕事だったのかもしれない。1971年5月16日の第1回神戸まつりの日にゲリラ的に決行した「虹の革命」の映像は、多くの若者がユートピアの実現を信じたのでは?と思わせる雰囲気が感じられます。しかし1979年にJAPAN KOBE ZEROが解散した時、そのユートピアの夢も消えたのではないかと想像しました。これらは想像ですが、ポジティブな成長とネガティブな衰退の両方を興味深く見ることの中に、大きな学びがあると思いました。
ですからこの展覧会は答えではなく、問題を投げかけたと言えます。1973年から後任のリーダーとなった榎忠氏に、その頃の様子を教えてほしいという思いが強まりました。

■ところで兵庫県立美術館では、3月24日(土)から5月27日(日)まで、「小磯良平と吉原治良」展が開催されます。東京藝大で教鞭をとった小磯氏と具体のリーダー吉原氏。今度の展覧会は二人の指導者の精神と活動を知る貴重な機会となるでしょう。

芸術におけるリーダー像。作家像とはまた異なる、興味深いテーマです。

ちなみに、4月14日(土)は同館で、16:00~学芸員による解説会があり、ミュージアムホールでは①10:30~、②13:30~、③16:00~映画「セザンヌと過ごした時間」が上映されます。これらと、展覧会鑑賞、図書室閲覧(周囲での写生も?)などで1日過ごす「アートピクニック@兵庫県美」を開催できれば、というアイデアも、今日生まれました。ぜひ実現させたいです。  

2.京都寺町通 スマート珈琲店
昭和7年創業。エッグサンドと自家焙煎コーヒーは美味でした。行列ができていました。外国人グループも並んでいました。

3.MORI YU GALLERY 五十嵐英之展「交叉する点 溢れる絵具」
自作の油絵の具で描いた最新油彩作品と、銅版を腐食させ、それを額装して作った平面的オブジェの展示。16:00~18:00のギャラリートークも濃密な内容でした。

4.京都国立近代美術館 ゴッホ展 巡りゆく日本の夢
初日に観ることができてよかったです。入口を入るとファン・ゴッホ美術館館長アクセル・ルーガー氏のメッセージが掲げられていました。一部紹介します。
「欝に苦しんでいたファン・ゴッホは、浮世絵の明るい性質を自身の作品に取り入れることで、心身の回復を図り、己よりも『はるかに幸福で、ずっと快活な』存在を夢想することができました。彼の生活は困難で、苦痛に満ちていました。ファン・ゴッホについて執筆した人はしばしば、ファン・ゴッホにとって幸福や喜びは何であったのかと疑問視しています。そして、そういった疑問に対し、本展は明快な回答を提示することになるのではないでしょうか。
ファン・ゴッホは、自身の作品の中に喜びを見出したのです。さらに、そうした喜びは、日本の浮世絵からインスピレーションを引き出す際に最大となりました。その結果、彼の喜びは、同時代の東洋の先駆者たちと同様に、かつてない領域にまで達したのです。」
作品世界を作り、その世界の住人となる時にのみ、幸福でいられる…。興味深い視点です。ユートピアを夢想し、作品という実体として出現させ、そこに現実があるとし、そのユートピアの建設にのみ、とりつかれたように夢中になること。これをエキセントリックで奇妙な妄想、現実逃避と片づけぬことが重要でしょう。なぜなら、私はその没我の体験を小さい子どもの頃にたくさん経験しているからです。その喜びを知っているのです。
私が最も心打たれた作品は、展覧会チラシにも使用されている「アイリスの咲くアルル風景」です。
イメージ 1

この作品から受ける感慨は以下のようなものです。対象物を書割り看板のように描くことによって、シンボルに満たされた神の国が出現した。既存の西洋絵画にも、自分が尊敬する浮世絵のような東洋絵画にも存在しない、唯一無二の世界の出現をゴッホは成し得た。新しい惑星、並行世界、過酷なこの世界とは異なるもう一つの宇宙、もう一つの現実を彼は生んだ。その時のゴッホの心のありようを空想し、私はさらにある推論をしました。

そう、これこそが現実だ!そう叫ぶとき、その作品世界を作った人は、では俺が住み、息をし、重力に縛られているこっちの世界はいったい何なのか。現実なのか、それとも虚構なのか。俺はこの「アイリスの咲くアルル風景」の絵の世界に同意し、親しみと愛情を抱いている。一方作品世界の外にあるこの外界は過酷で辛いことばかりである。俺はこの世界に同意していない。俺は、作品世界に住む。断固としてそうする。このイデアの世界に。そしてこっちのもう一つの有限世界は、不完全で冷酷だ。こんなものはなくていい。なのに無視しがたい力で俺に襲い掛かってくるのはなぜなんだ。

ここに狂気の発生する土壌があると思います(注:狂気に陥ったと言いたいのではありません)。多くの人の同意する現実世界とは異なる、全く新しい、観たこともない、そしてそれゆえに孤独な、絶対的とも思える世界を創始してしまったら、その怖いような、しかし抗いがたい魅力に取りつかれてしまったら?そして多くの人の同意する世界に同意したくないのなら?あなたはどっちに住む?あちら側に行く?それともこちらにとどまる?この究極のせめぎ合いは、狂気につながります。

新しい強烈な世界を創造する力を持ち、実際に作ってしまった人は、おかしくなりそうなぐらい、ぎりぎりの緊張を持つことになるでしょう。かつ同時にまた、19世紀末の西洋社会もまた、かつて存在したことのない、現実として受け入れるのが難しいかもしれぬ、唐突な人工世界だったのではないでしょうか。どうする?そして果てしなく続くその自問自答、究極の選択を、他の誰も理解できない。
これはきついのではないでしょうか?

ひるがえって、現代に目を向けてみましょう。今、日本には現実世界に住むことを拒否し、ひきこもりと呼ばれる状態に身を置く人が大勢います。その人たちの多くは、漫画に夢中になり、喜んで二次元の住人になっています。漫画:つまり浮世絵の子孫です。

これを現実逃避と呼ぶことには慎重になるべきでしょう。作品世界に住むことはおかしなことじゃない。それをおかしいとレッテルを貼る現実世界の容赦ない無理解こそ愚劣なり、という哲学・世界観にこそ、もう少し注意深く目を向けるべきだと思います。

ゴッホが日本のコミック(浮世絵)の世界に住みたいと夢想したように、あるいは住みたいと思わせるユートピアに出くわしてしまったように、日本のロマンチックな心性を持つ人もまた、自国のコミックに住むことを選択しているのです。あるいは住みたいと思わせるユートピアの伝統はコミックの中に連綿と受け継がれている。

日本に行けば自分のような生き方・その苦しさを理解し、尊敬しあえる人々がいるに違いないという感覚を持ったことは、おそらくゴッホの鋭敏さを示すものではないかと思います。

いずれにしても、日本美術、とりわけ浮世絵がなければ、天才画家ゴッホは生まれなかったということがよく分かりました。

5.gallery morning 山部康司「海の見える処へ」

昨年11月に山部氏の絵を大阪のLADS GALLERYで観た時、見ごたえがありました。

しかしその時よりもさらに今回の展示は良かったように思います。東洋と西洋の伝統画法を学び、採用しながら、こんにちの絵画として提示されていました。一つの作品の中にいにしえの東洋と西洋と現代が交錯しあう、不思議な絵画体験がありました。そこには、長い期間手を動かしてきた者にしか成し得ない迫力がありました。

ここにも一つのユートピアがあった、と思いました。

■リンク
↓兵庫県立美術館/県美プレミアム/JAPAN KOBE ZEROの軌跡

↓京都寺町通 スマート珈琲店

↓MORI YU GALLERY
↓五十嵐英之展「交叉する点 溢れる絵具」
↓五十嵐英之

↓京都国立近代美術館
↓ゴッホ展 巡りゆく日本の夢

↓gallery morning
↓山部康司「海の見える処へ」

/清原健彦

平成30年2月のカレンダーができましたのでアップします。

イメージ 1


/清原健彦

↑このページのトップヘ