
この手作りの筆立て、実は何と伸縮できます。
手作りなのに、この機能…すごいです!
道具をカスタマイズ(=使いやすいように自分流に改造したり調整すること)することは、とても大事だと思います。
生徒さんに教えられました。
神戸で絵画を学ぶ。初心者からプロまで。



9日の火曜日、美術作家の榎忠(えのき・ちゅう、愛称エノチュウ)さん(左)と、仕事でお世話になった金本さん(右)の3人で食事をしました。
1970年代に前衛美術グループ「ジャパン・コウベ・ゼロ」で活動されていた榎忠さん。その頃の逸話をいろいろ聞かせてくださいました。岡本太郎の「太陽の塔」の万博で幕を開けた70年代。美術の世界はとても騒然としていたと思います。忠さんはあるめでたい宴で祝いの大砲をぶっぱなし、それが引き金になって、そこにいた人の魂に火をつけたのでしょうか、祝宴は大乱闘になったそうです。
90年代に美術の世界に入った私は、60年代70年代に活躍されてきた作家さんとお会いすると、戦国時代を生き抜いた宮本武蔵や塚原卜伝のような古武士を思い浮かべます。幕藩体制、武士の価値観、あるいはアカデミズムに規定された階級的侍とは違う。実際の生存を常に危険にさらしながら自らの兵法を開発し、自律的に価値観を確立した侍です。
「最近の動向に疎くなってしまいました。」という私に、「動向なんて関係ない」とさらっとおっしゃった忠さん。
そうですね。
美術家たる者、空気なんか読むな。
いや、大きな仕事をする人が人一倍デリケートに、人情や状況の機微・文脈を読むことを私は知っています。断言します。すばらしい仕事をする人は必ず高感度のセンサーを機能させている。 けれども、それでは突破できない限界がある。自分を助ける兵法と、絶対に譲らないポリシーが要るのです。貫かなければならない「もの分かりの悪さ」が要るのです。
幕藩システム侍で終わるか、技術思想を樹立した古武士で生き残るか?
組織を軽視するわけではありません。そうではなく、システムの限界を突破する力がアートには要求される。そこを私はちゃんと生きれられるのか?ということです。
大阪万博のお祭り広場の基幹施設は、丹下健三率いる建築家チームによって、窮極のモダニズムに基づいた模型がすでに完成していました。その大屋根を突き破って70メートルの「妙なこけし人形(磯崎新談)」を立てた岡本太郎。建築チーム主要メンバーの磯崎新は後に「負けた!」と語ったそうです。
現在の万博公園のお祭り広場に、そのときの建造物は残っていません。唯一つ、「太陽の塔」を除いては。
(椹木野衣著「黒い太陽と赤いカニ」を参照しました。)
榎忠さんは今年10月の神戸ビエンナーレに招待作家として出品参加します。忠さんの世界に触れてください。皆で見に行けるといいですね。

