清原絵画教室のブログ

神戸で絵画を学ぶ。初心者からプロまで。

2010年07月

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今日、7月26日は高校生の女の子が

日の峰教室にインタビューに訪れました。

甲北高校総合学科1年生の田口楓さんです。

「産業社会と人間」という科目の夏休みの課題で、

自分が将来(漠然とでも)進みたい分野の職業で働く人を訪ねて、

インタビューをし、レポートにまとめて夏休み明けに

クラスで発表するという、なかなかユニークなものです。

グループで取材し発表してもいいそうですが、

田口さんはソロ(一人)で、自分の興味ある美術の分野の仕事を電話帳で調べ、

清原絵画教室を見つけて私のところに電話してきてくれました。

最初電話したときはとても緊張したようです。

気分は「突撃インタビュー」ですね。

勇気がいったと思いますが、がんばって乗り越えましたね。

これからレポートにまとめるのがまた一苦労かもしれませんが、

壁にぶちあたりながら、一つ一つ関門を潜り抜けること自体が

とても大きな勉強だと思います。

泊りがけで東京まで取材に行く人もいるそうですが、

田口さんも、他の生徒のみんなもがんばれ!と応援したいと思います。

それにしてもユニークな課題ですね。

「産業社会と人間」…。

社会との、どきどきしながらの出会いを、こんな形で高校1年生に体験させるとは。

私も短大で、どうやって実戦で生き残れるように導くか、

考えることがよくありますので、こうした課題を知ることができて刺激になりました。

それにKid’sたちの指導にとっても、何かヒントになるかもしれません。

「産業社会と人間」…。

絵画教室の講師である私も、「産業社会」で役割を持った「人間」の一人なのですね。

ちょっと嬉しい。

田口さんは軽音楽部でベースを弾く高校1年生。

将来美術方面に進みたいけれど、

具体的にはまだそれ以上のことは決められないそうです。

そりゃそうだ、と思います。

私が「食えるかどうか分からんがとにかく絵の勉強を始めよう」と思ったのが25歳で、

今も画家と絵画教室講師の仕事で「食えてるかどうか」、分からないくらいなのですから。

この課題に取り組むことで、将来のビジョンが一層不透明になっても落胆しないように。

一度の突撃インタビューで分かってしまうほど世間は狭く浅いわけじゃない。

けれども、この課題で得られるもっと大事なことは、

怖くても体当たりでぶつかっていけば、大人たちは結構迎え入れ、

応えてくれるという学びかもしれません。

今まで、色々な方面人から清原絵画教室にお声がかかりました。

PHP出版の「大人のための絵のレッスン」の本作り協力、

マイタウン紙や神戸新聞の取材、

テレビ制作会社から宝塚歌劇のタカラジェンヌを招いてのワークショップ開催、

朝日放送からは「探偵ナイトスクープ」出演依頼、巨大絵画の制作などなど。

でも高校生からのインタビューの申し入れは初めてでした。

田口さん、今のところ突撃力では上記企業の人に負けてないぞー。がんばれーっ。












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森林植物園では

今までに2回、

スケッチ大会を

開催しましたが、

いずれも20人を超す盛況ぶりでした。

私もここでのスケッチ大会が大好きです。

先日の下見でもおよそ5時間過ごしましたが、

木々が発する空気のせいだと思うのですが、

夏でも涼しく、心身が癒されるようでした。

この日は平日で人が非常に少なく、

この広大な空間を独占しているようで、

とても贅沢な気分を味わえました。

そして、アウトドアっていいなあ、としみじみ思いました。

これからも、教室の活動や自分の制作を、

もっとアウトドアで展開できれば、と思いました。


























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先日、森林植物園に行って来ました。

9月のスケッチ大会の下見です。

芝生広場という場所で開催しようと思います。

写真がそうです。

近くには長谷池もあります。

過去2回は天津の森で開催しましたが、

さすがに3回同じ場所では

ちょっとワンパターンかと思い、

変えてみようと思います。








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夏が来ました。

私は夏が好きです。

理由は色々ありますが、

その一つとして、

夏の風物には、

日本的情趣の豊かなものが

たくさんあることが挙げられます。

入道雲、ところてん、うちわ、

ラジオ体操、高校野球、蚊取り線香、蚊帳、

蝉、川遊び、麦わら帽子、

すいか、かき氷、そうめん、冷やし飴、

お盆、お墓参り、盆踊り、

風鈴、花火、浴衣…

夏には、自分の中の日本人のDNAを呼び覚ます何かがあります。

そして日本人としてのもう一つ大事な要素に、

戦争が終わった日があります。

8月15日は、政治的・経済的に大きな変化のあったドラマティックな日として、

日本人の心に刻まれていますが、

私は、日本人の美意識の変化(崩壊?)という視点で、この日に着目しています。

先日、1962年制作の東宝映画「日本の一番長い日」(岡本喜八監督)のDVDを買って、観ました。

私はこの映画を観ると、なぜか甘美な感覚に襲われるのです。

最近、昭和を回顧する映画が多く作られているようですが、

私にはどうしてもよくできたフェイクにしか見えない。

表層をうまく再現すればするほど、平成の空虚が露呈するような気がします。

しかし、この映画は、添加物0。

「ザ・昭和」というテーマで映画を1点選べと言われたら、私はこれを最高傑作に推します。

さて、女性の登場は新珠三千代ただ一人、民間人の登場は0という、非常に緊張度の高い、硬派な内容にも関わらず、

この映画は私に甘美な感傷-あるいは高貴な憧れ-を与えます。

なぜなのでしょうか?

この感傷を、ノスタルジーという心理学的文脈に回収するのはたやすいことですが、ここではそれに触れません。

私はこの映画に漂う、国学的というか、大和心というか、日本独自の美意識の顕れと、その美学の滅びと追悼の雰囲気に目を向けたいのです。

劇中、志村喬演じる下村情報局総裁が、終戦の手続きの多さへの疑問を口にした部下に対して、

いや、これは儀式だ。何しろこれは日本帝国のお葬式だからねえ、

という場面があるのですが、

私にはこの映画が、何重もの意味で、今はもういない者への追悼と、

そして失われた美意識への憧れをかきたてるのです。

昭和天皇、阿南陸相、米内海相、鈴木総理、森近衛師団長、青年将校…

この映画作りに携わって、終戦の痛みと当時苦しみぬいた人々への鎮魂と哀悼の祈りを捧げたほとんどの人たちは、もうこの地上にはいません。

三船敏郎、山村聡、笠智衆、志村喬、宮口精二、そして岡本喜八…

この映画を観ることは、二重の追悼を意味するのです。

私たちは、何かものすごく大きなものを失ったのだと思います。

この国特有の美意識という点で、この映画から学ぶことは多いと思いました。

一方で、私の中には、アメリカの美意識が多く入っています。

エドワード・ホッパー、ジョージ・シーガル、ビーチボーイズやイーグルス、

ジョン・コルトレーンやマイルス・デイビスの作品は、確かにすばらしい。

終戦後20年たって生まれた私は、アメリカの影響を受けている自分を感じます。

けれども私は、日本という土着の風物にも美しいものを感じるのです。

高貴で崇高なものへの希求において、私たち日本人は、ひたむきで全うだと、自負していいと思います。

何だか今日はずいぶんナショナルな身振りになってしまいましたね。

夏のせいかな?

画像は会報流星の表紙に使った絵です。

「にっぽんの夏」という雰囲気を表そうと思って描きました。

ではまた、来週のブログでお会いしましょう。

暑さに負けず、元気にお過ごしください。

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6月27日(日)のスケッチ大会で

実演したときに私が描いた絵です。

霧の感じがでてくれたらいいのですが。

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