清原絵画教室のブログ

神戸で絵画を学ぶ。初心者からプロまで。

2011年03月

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東日本大震災が発生してから2週間がたちました。

発生した日に私は思い浮かべました。

これは長期戦になる。

そして特に「心のケア」が重要な問題になると。

当面の危機はだいぶ沈静化しました。

原発と放射能には引き続き注意を払わないといけませんが、問題なのは放射能の危険ではなく、放射能が引き起こすヒステリーです。

連日流される報道の多くは扇動的な意図から発せられています。

マスメディアの売り物は「事件」と「脅威」だから。

テレビを消して山菜でも採りに行こう。

当面の危機はだいぶ少なくなりました。

これからが、私にできるかもしれない取り組みの始まりだと感じています。

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私は2001年から、心の問題について細々とですが学んできました。

(1984年から1988年まで大学で心理学を学びましたが、それらの勉強が実際に役立ったことはありませんでした。)

2001年から、心理学ではなくサイエントロジーという理論と技術の体系を学び、また、カウンセリングを実践してきましたが、これは顕著な向上という結果をもたらしました。

また、私はサイエントロジーから学んだ理論を絵画教室の技術指導の現場に応用し、専ら、生徒さんの意欲を高めるということにも励んできたのです。

私がサイエントロジーから学んだ、重要なことの一つに、真実についての概念が挙げられます。

真実だと思っていることは一人一人違う、ということです。

以下に、サイエントロジーの開発者L・ロン・ハバードがそれに触れた「個人の高潔さ」という記述を引用します。

「 個人の高潔さ

あなたにとっての真実とは、あなたが自分で観察したことです。あなたがそれを失うとき、あなたはすべてを失うのです。

個人の高潔さとは何なのでしょう?
個人の高潔さとは、「あなたが知っているものを知っている」ことです。あなたが知っているものとはあなたが知っているものです。そして、あなたが観察したものを知る勇気を持ち、かつそれを口にする勇気を持つことです。それが高潔さです。他に高潔さは何もありません。

もちろん私たちは、名誉、真実、崇高さ、こういったものすべてを深遠な言葉として語ることはできます。しかし、もし本当に観察したものが、私たちの観察したものであるならば、もし観察しているものを確かに観察したのであれば、もし観察するために観察したのであれば、こうしたものはみな、とてもうまく網羅されるのだろうと思うのです。それは必ずしも懐疑的な態度、批判的な態度、あるいはオープンマインドな態度を保つことではありません。全く、これらを保つことではないのです。しかしそれは確かに、十分な個人の高潔さ、十分な個人の信念、自分の中の自信、そして、私たちが観察しているものを観察する勇気を保つこと、そして観察したものを口にする勇気を保つことです。

サイエントロジーのどのようなものも、あなたがそれを観察し、あなたの観察によってそれが真実でなければ、あなたにとっては真実ではありません。

それが、すべてです。 」(L・ロン・ハバード著「サイエントロジー 人生への新しい視点)より

そのような考え方を美術に当てはめた時、講師の私は、自分が大きな価値を置いているものを生徒さんに押し付けることの危険性について認識しておかなくてはなりません。

重要なのは自分の価値観を安直に、または強引に相手に押し付けることではなく、多様な価値観を認めた上で自分の意見を率直に正直に述べることだと思っています。

それが講師の、いやそれ以前に美術家のあるべき姿だと思います。

講師の私は、生徒さんにむかって、「こうするべきだ」と言うことなく、生徒さんがいいと思うことを否定することなく、「私はこうする方がいいと思う」ということを伝えないといけません。

スポーツや実際的な技能訓練とは異なり、美術教育の難しいところはそこにあります。

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心についての勉強をささやかに続けてきた私は、震災の報道で、大きな喪失を味わった人々を見ると、ショックを軽減する技術を持つ者として、行って何かすべきだと思わずにはいられません。

求められているのに行動しないのは辛い。

9・11テロの時、この技術は、ビル崩落で仲間を失った喪失感から無気力に陥ったレスキュー隊員や消防士、警官たちのショックを取り去り、ふたたび立ち上がらせました。

これから、このカウンセリング技術はもっともっと求められると思います。既に仲間から援護を催促されています。

仕事を早くすすめ、調整し、時間、資金を作って、重圧を和らげるお手伝いをしに、被災地に行きたい、行きたいと思っています。


また絵を描きました。

絵で人々を癒そうとは思いません。

芸術は本来無目的であるべきでしょう。

ただ、結果的に絵が人の心を癒すことはあります。

私の絵も、人を助けようという意図ではなく、しかし結果的に人が肩の荷を下ろし、あるいは立ち上がるという現象を起こしてくれたら、と思います。

これって消極的でしょうか。

いいえ、やっぱりそうではありますまい。

美は、人によって発見されるものでなければいけない、と思います。


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今日は絵を描きました。

今、被災地への支援の機運が次第に高まっています。

私も毎日、行動したい気持ちが高まっています。

被災地に行って協力活動したい気持ちが、日を追うごとに強くなっています。

そんなことを考えながら今日は絵を描きました。

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毎日ハードなニュースが続いています。

被災地に音楽や詩や絵が必要になってきてもおかしくない。

西日本から、気持ちを向けています。

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