清原絵画教室のブログ

神戸で絵画を学ぶ。初心者からプロまで。

2011年04月

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昨日は万博公園に行って来ました。

天気がよくて、たくさんの人が来ていました。

私は色々勉強になり、考えたりしました。

それを今日は、ちょっと書きます。

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SF映画では、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」のデザインを超えるような美しいものを、見たことがありません。

あのようなデザインの真摯さと正統性が、格調の高さが、かぐわしきエレガンスが、この万博公園という遺跡には満ち溢れていると感じます。

かつてここには近代という文明があった、と思わせる香りがあるのです。

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そこは、昔の物語など何もなかったかのように、市民の憩いの場として愛されています。

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ウメサオタダオ展。

興味深い展覧会でした。

私は、震災が発生してから、いつも311後の世界をどう生きるか、ということを考えています。

考えてしまうのです。

そんな今、梅棹さんの、「探検」を思想の基礎に置いているその行き方に、学ぶことが多いと感じました。

「自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の頭で考え」、そして成果を出すという梅棹学問論。

震災後の世界を美術家として生きていく、という面からみても、刺激になりました。

おびただしいスケッチがあり、未来を照射し、新しい世界像は、本当に詳しい現実観察から生まれるのだと実感しました。

レオナルド・ダ・ビンチの仕事を思い起こします。

梅棹忠夫さんについてはもう少し著作を追うなどして勉強したいと思います。

そしてできればまたいつかこのブログでもその思想や行動について触れたいと思います。

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大阪万博は、私の中では科学万能主義とは違う何かもっと人間的なぬくもりを暗示しているのですが、どうでしょう。

それを、ヒューマニズムというのでしょうか。

懐かしいもの。

不可解なもの。

万博はそういうものをたくさん含んでいたような気がします。

たぶん万博のもたらしたものは、ハードの進歩、機械のすばらしさという短絡的な次元ではなかったと思います。

もっと社会科学的にも、人文科学的にも、「人類」に対してとても友好的だったのではないでしょうか。

人類は過去から進歩して、仲間や家族と、過去の古いしきたりと、異世界や異文化と、宇宙や機械とも仲良くできる。

祈りとともにそう信じた時代があったのです。

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