清原絵画教室のブログ

神戸で絵画を学ぶ。初心者からプロまで。

2011年07月

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ここ数日は武満徹の合唱曲をよく聴いています。

特に「小さな空」。

私はこの曲をもって、武満徹のすばらしさを強く感じます。

小さな希望。小さな平和。鎮魂と世界平和への祈り。

日本人はかわいい、女性的な感性で世界のバトルロイヤルに立ち向かうようなところがあるな、とよく思います。

旧日本海軍は多くの軍艦に山や川や鳥、気象、美しいものの名前をつけました。

中国語圏(中国・台湾・シンガポール)で使われる日本人に対する最大級の蔑称である「日本鬼子(リーペンクイツ)」に対しては、日本のオタク文化は萌えキャラ「日本鬼子」を生み出し、踊りまでつけて応じました。

「やわらか戦車」にしても、日本人の弱さの表れというよりも「柔よく剛を制す」のような、和の精神の表れに私は着目します。

そういえばサッカーなでしこジャパンの快挙も、日本人の女性が、日本人の本来のやり方をストレートに発揮した成果といえるかもしれません。

日本の女性は世界的に見ても、本当にかしこく、有能でいて、おしとやかなのだと思います。


かわいい。でも強いのです。









今日は最近の私のYouTubeお気に入り再生リストのトップから4番までをご紹介します。

前回のブログで保守に共感すると述べましたが、今、私の脳を新鮮(新しく鮮やかに)刺激するのは40年近く前のものばかりです。

普遍的な価値を持つものは常に新しく、生きていると思います。

画期的なもの、根源的なものを探すと、多くは古いものの中にそれを見出すのです。

ITという新しいテクノロジーがそうした遺産との出会いを容易にしてくれてはいるのですが。


,箸蹐蹐

:1973年歌:堀江美都子 (ミッチーとチャタラーズ名義) 作詞:中山千夏作曲:宇野誠一郎編曲 「山ねずみロッキーチャック」挿入歌)。やはり宇野誠一郎氏は夢のある曲を作る名人。



村八分「あッ!!」

:村八分は1969年から1973年にライブ活動をしたアンダーグラウンド色の強い伝説的バンド。この曲は社会から逸脱した傾奇者(かぶきもの)らしさが生々しく、その情念が時を超えて突き刺さってきます。

2林信康「堕天使ロック」

:ジャックス(1960年代後半に活動した日本のサイケデリック・ロックバンド)のカバー。イントロのギターが津軽三味線を思わせる。画像にはダーティ松本「終わりなき闇の宴」(官能劇画)の表紙がアップされています。


せ暗舁概夫vs東大全共闘討論会

:1969年5月13日東大教養学部900番教室での熱い討論の模様。

ある仕事の納期に追われているために、この日記に充分な力を注げず、まとまりを欠いたつぶやき・独白となっています。

見苦しい点があるかもしれませんが、どうかお許しください。

・・・

最近、保守論壇に共感を持つようになりました。

戦後保守思想家が守ろうとしてきたものは、我が国の歴史と精神性であり、自存自衛の誇りでした。

その志は、美術家が大事にすべきものと一致します。

美術とは、精神を扱う技術にほかなりません。

私は、近年の日本文化の退嬰的風潮を一方で苦々しく感じながら、一方で慣れ、流されていました。

つまらない流行音楽にうんざりしながら、半ばあきらめていました。

しかし東北の震災がきっかけで、自分がフィクショナルな空間に生きていたこと、そして日本に今日蔓延する文化芸術の退行現象は、我々が、フィクショナルで閉塞した遊園地(=限定された思想の圏域)をぐるぐる回っている閉塞に起因するのだと気づきました。

そしてそうした精神的文化的閉塞の源を、日本国の運営をめぐる政治的主題の中に見出そうとする思想と実践(安保闘争、憲法改定をめぐる左派・右派に分かれての闘争)があったこと、そして混迷の克服は、グローバリズムの要請に対抗する自主独立によるしかないという主張が、戦後保守思想の中心的課題であったと、知るに至りました。

戦後体制は終焉したのではなく完成したとみなすべきだと、ある評論家は言いました。

戦後体制の完成とは、私たちが勢いよく白痴になる仕組みが整備されたということを意味するでしょう。

公共の場で傍若無人で無教養なふるまいをする若者が増えています。

しかし白痴のように見える今日のおおぜいの若者を見ても、目の前の現象だけを見てその若者たちを責めるのは的外れだと考えるべきです。

自存自衛を放棄し、遊園地の中で遊び暮らすことを選択してしまった国家経営失策のツケが回ってきただけのことです。

そしてそのような国家経営者を民主的に選んでしまった国民が愚劣でした。

私もその愚劣な国民の一員でした。

しかし作家として美の実現を志す以上は、この国の精神的風土をどうするのだ、ということを背負う気概を持つべきだと思います。

美術家には、(自分たちが良い仕事を継続していくためにすぐれた政治リーダーを選ぶ聡明さも必要ですが)自らが社会の精神的風土をリードする意志が必要だと思います。

大きく出たね、と思われるでしょうが、大きな視点こそが避けられていたのです。

美術家が国家的問題を避けて、衒学的、審美的なテーマのみに耽溺することこそが遊園地遊戯の極致だということは論理的に筋が通るはずです。

(まやかしの)聖域から娑婆に出なければなりません。

また、問題を反リベラルといった狭いイデオロギー闘争に矮小化するつもりは毛頭ありませんが、美術家が無反省にリベラル、平和、自然保護といったユートピア主義的立場をとっているうちは、遊園地という閉じた円環からはい出ることはできないような気がします。

世界を均質に同質に一元的に高めようとすることの悪趣味を、私はたたきたい。

無内容な歌に酔いしれながらみんな仲良く、の低劣を撃つ。

ノンを表明する。

(―ふと気づけば、震災によって、自分の思考が変化してきているような気がします。

ある画廊で、震災以後、上記のような、自分の意識がちょっと変わってきたという意味のことを言ったら、結婚したからですよ、と笑われてしまいましたが。)

芸術を専門とする者は、クラシックという語において、「上質なもの・最高クラスのもの」ということばと「古いもの・古典・伝統的なもの」ということばが同義であることにもっと鋭く目を向けるべきでした。

美を道として志すものが、単に新しいもの、新技術、新発想、新自由主義、新動向というようなものに安易にとびつくのは悪趣味だと言わなければなりません。

最近のブログで「イノベーション」なんて言葉をたびたび書いた軽薄を、いささか恥じています。
































東日本の震災がきっかけで、自分たちの安全をどう確保するのか、という問題を、よく考えるようになりました。

私たちは遊園地の中で生きています。

次々と新しい動向の情報を入手し、新しいエンターテイメントに対応しようと努力しています。

新型の情報端末、新型のオーディオビジュアル、新しい車、新しいライフスタイル(ガーデニング、ゲームの新動向などなど)、新しいテレビ番組(ドラマ、バラエティなどなど)です。その他たくさん。数えきれません。

見渡せば、エンターテイメントと、金をどう稼ぐか、というテーマに囲まれているのです。

遊園地の安全は誰がどのように保障しているのか。

このことを、遊園地の運営者も遊園地の「ユーザー」も議論しない。

アクチュアルな日本(および日本文化)の退屈さ、嘘くささ、幼稚さは、日本の安全保障の問題なのだ、ということです。

誰かが遊園地を守っている。

我々はその中で遊び暮らしている。

しかし自主的に遊園地を建設し、企画立案し、運営することはできないのです。

この問題に正面から取り組もうとした集団が自民党でした。

自民党のコンセプトを究極的に突き詰めれば、自主憲法制定、これに尽きると思います。

しかし、自主憲法制定=戦争の正当化という議論から脱却しなければならないと思います。

安全保障=戦争という安直な発想を変えないと、憲法論議は前に進まないのではないかとも思います。

横暴な者から自分の安全を守るために、たとえば自分の奏でる音や詩(=芸術)を活用することは、安全保障の一選択肢足り得るでしょう。

しかしともかく、今の日本の美術の世界には、危険に遭遇した際に、だれかの庇護の陰に隠れておびえることを、芸術家の生き方からはずさなければいけないのではないか、という設問が必要だと思います。

しかしそれは自分にも、反省を促すものでもあります。

今日はここまでにします。

このことはもう少し勉強し、考えを深め、できればまた書きます。
















この度、講師清原健彦は、結婚したことをご報告いたします。

6月20日に役所に届けを出し、6月27日に式を挙げました。

新しい生活を始めますが、今後とも暖かくご指導くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

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