清原絵画教室がスタートしたのは2002年の7月。ちょうど10年前の今頃だった。ワールドカップがやって来て、神戸はお祭りのように賑やかだった。私はその頃、夜郵便配達をしながら昼間、風見鶏の館の前で似顔絵を描いていた。
そこで多くの絵画グループの人たちを見た。どのグループの人たちもご高齢で、そしてとても楽しそうだった。多くの人たちが異人館を訪れていたがその誰よりも颯爽としていた。世の中のために働いてきて、ようやくご自分の時間を手に入れたのだ、今が青春なのだと思った。そしてこのような人たちをサポートさせていただけないか、と思った。しばらくして近所に「清原絵画教室」のチラシを配り、数日後に訪れた一人の婦人に私は尋ねた。「どんな絵を描きたいですか?」
それがはじまりである。
細々とした始まりにおいて、一期一会(毎レッスンを現金で頂いていた)であることや、講師はナビであるというコンセプトを掲げた。「あなたのドライブにナビを乗っけてナビがあなたにとって快適に機能しているのであれば、引き続きどうぞ案内をお申し付けください。あなたにとってなじまないのであれば、ナビを呼ばなければ結構です。」そんなドライな(いわば薄情な)考えが原点だったが、こうした流動性が10年間活動し続けることを可能にした一つの要因だったとも思う。
しかし草創期に作ったもので、今はなくなってしまったコンセプトが一つある。今日はそれに目をむけてみたい。
それは「徹底したホスピタリティ」である。
私は絵の勉強をしながら10年近くホテルでアルバイトをしていた。1990年頃はミシュランに認定された三ツ星レストランでも働いていた。皇族や閣僚が訪れる店である。
清原絵画教室を、そのようなホテルや病院で提供されるようなホスピタリティを伴ったくつろぎの空間にする。絵画を描きながら過ごすビラにする。 草創期に、私はそのようなビジョンを描いた。コンセルジュやソムリエやギャルソンやシェフが礼を尽くし、もてなしを提供するように、ナビが生徒に最高にくろいだひと時を、絵画制作の中ですごしていただく。レストランに行けば料理を楽しみ、バーに行けばお酒を楽しむように、清原絵画教室に行けば絵画制作をしながらその時空間を楽しんでいただくのである。いわばリラクゼーションとして機能させたいという思いがあった。
今はそのような方針を採用していない。なぜなら、マクドナルドに行ってソムリエがうやうやしくワインの説明をしていたら「ん?」となるだろう。市バスにキャビンアテンダントとか。だから清原絵画教室も状況にあわせて雰囲気を変えたのだが、できればあのホテルサービス的絵画教室のコンセプトをもう一度復活させたい思いはある。
エントロピーの法則のように状況にあわせて下に流れていくのではなく、建設的な明確な意志を持ってお客様を誘導して「店」をブランディングしていく。どれだけホスピタリティを徹底できているのか。そのこだわりがブランディングステイタスとなる。
10年めで初志を思いだしてみたら、大事なことだなと思った。未曽有の経済危機などとマスコミがいくら騒いでも、町に物質はあふれている。人々が満たされていないのは精神的な部分だと思う。精神的なごちそうを、絵画という料理を、サービス業を参照したホスピタリティで供していく。それを多くの人は求めているはずだ。寺に、修道院に、人々は安らぎを求めて修行体験に行く。その人々をお坊さんや修道士さんたちはホスピタリティの精神でもてなしている。昔から大切にされ、営まれてきたことだ。あるいは茶の湯。
当然ながら提供する側-つまり私-は提供するに足る器をもたなければならない。たんにうやうやしくせよとか、末梢的なことではない。受動的にお客様にあわせるのでない。しかし主体的に精神的なごちそうを創造した上で、どうすればお客様にすんなりと召し上がっていただけるか、その供し方を追求する奉仕的な至誠も必要だろう。奉仕的な誠があるからこそ、他では得られない価値ある製品(指導)が光る、ということもあるかもしれない。多分それは連動した要素なのだろう。
今すぐとはいかないが、上記の旗をふたたび掲げることができれば、と自身に願う。今は「願い」にとどめさせていただくが、全ては意志・思考から始まる。挫折したのではない。状況との関係で模索が続いているのだ。現状に対応してきたのだ。「言うは易し行うは難し」とも思わなくていい。
大切なのは最初に夢見たことをポジティブに思い出すことだ。できるはずだと起き上がることだ。
恥じてもいいが、俺はダメな奴だとレッテルをはるのはだめだ。
できる。ここから出発する。
そこで多くの絵画グループの人たちを見た。どのグループの人たちもご高齢で、そしてとても楽しそうだった。多くの人たちが異人館を訪れていたがその誰よりも颯爽としていた。世の中のために働いてきて、ようやくご自分の時間を手に入れたのだ、今が青春なのだと思った。そしてこのような人たちをサポートさせていただけないか、と思った。しばらくして近所に「清原絵画教室」のチラシを配り、数日後に訪れた一人の婦人に私は尋ねた。「どんな絵を描きたいですか?」
それがはじまりである。
細々とした始まりにおいて、一期一会(毎レッスンを現金で頂いていた)であることや、講師はナビであるというコンセプトを掲げた。「あなたのドライブにナビを乗っけてナビがあなたにとって快適に機能しているのであれば、引き続きどうぞ案内をお申し付けください。あなたにとってなじまないのであれば、ナビを呼ばなければ結構です。」そんなドライな(いわば薄情な)考えが原点だったが、こうした流動性が10年間活動し続けることを可能にした一つの要因だったとも思う。
しかし草創期に作ったもので、今はなくなってしまったコンセプトが一つある。今日はそれに目をむけてみたい。
それは「徹底したホスピタリティ」である。
私は絵の勉強をしながら10年近くホテルでアルバイトをしていた。1990年頃はミシュランに認定された三ツ星レストランでも働いていた。皇族や閣僚が訪れる店である。
清原絵画教室を、そのようなホテルや病院で提供されるようなホスピタリティを伴ったくつろぎの空間にする。絵画を描きながら過ごすビラにする。 草創期に、私はそのようなビジョンを描いた。コンセルジュやソムリエやギャルソンやシェフが礼を尽くし、もてなしを提供するように、ナビが生徒に最高にくろいだひと時を、絵画制作の中ですごしていただく。レストランに行けば料理を楽しみ、バーに行けばお酒を楽しむように、清原絵画教室に行けば絵画制作をしながらその時空間を楽しんでいただくのである。いわばリラクゼーションとして機能させたいという思いがあった。
今はそのような方針を採用していない。なぜなら、マクドナルドに行ってソムリエがうやうやしくワインの説明をしていたら「ん?」となるだろう。市バスにキャビンアテンダントとか。だから清原絵画教室も状況にあわせて雰囲気を変えたのだが、できればあのホテルサービス的絵画教室のコンセプトをもう一度復活させたい思いはある。
エントロピーの法則のように状況にあわせて下に流れていくのではなく、建設的な明確な意志を持ってお客様を誘導して「店」をブランディングしていく。どれだけホスピタリティを徹底できているのか。そのこだわりがブランディングステイタスとなる。
10年めで初志を思いだしてみたら、大事なことだなと思った。未曽有の経済危機などとマスコミがいくら騒いでも、町に物質はあふれている。人々が満たされていないのは精神的な部分だと思う。精神的なごちそうを、絵画という料理を、サービス業を参照したホスピタリティで供していく。それを多くの人は求めているはずだ。寺に、修道院に、人々は安らぎを求めて修行体験に行く。その人々をお坊さんや修道士さんたちはホスピタリティの精神でもてなしている。昔から大切にされ、営まれてきたことだ。あるいは茶の湯。
当然ながら提供する側-つまり私-は提供するに足る器をもたなければならない。たんにうやうやしくせよとか、末梢的なことではない。受動的にお客様にあわせるのでない。しかし主体的に精神的なごちそうを創造した上で、どうすればお客様にすんなりと召し上がっていただけるか、その供し方を追求する奉仕的な至誠も必要だろう。奉仕的な誠があるからこそ、他では得られない価値ある製品(指導)が光る、ということもあるかもしれない。多分それは連動した要素なのだろう。
今すぐとはいかないが、上記の旗をふたたび掲げることができれば、と自身に願う。今は「願い」にとどめさせていただくが、全ては意志・思考から始まる。挫折したのではない。状況との関係で模索が続いているのだ。現状に対応してきたのだ。「言うは易し行うは難し」とも思わなくていい。
大切なのは最初に夢見たことをポジティブに思い出すことだ。できるはずだと起き上がることだ。
恥じてもいいが、俺はダメな奴だとレッテルをはるのはだめだ。
できる。ここから出発する。