清原絵画教室のブログ

神戸で絵画を学ぶ。初心者からプロまで。

2013年04月

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清原絵画教室の生産物とは何でしょう。

生産物とは、何か有用なもので、お金や何かと交換できるものです。

発足当初と今では、生産物が変わったのだと思います。

はじめは、時間と空間でした。

生徒さんに充実した時間と空間を提供することを目指していたと思うのです。

しかし今はそれが変わりました。

それは技術や知識です。

生徒さん自身が一人で絵をおしすすめていくのに必要な装備、処理能力のインストールです。

それは資産となります。

時間や空間はどうでしょうか。

どちらかといえば、その時間や空間が何かを生み出すことはないと思います。

資産とは言いにくいものです。

私は、指導の日々の中で、生徒さんが作品を生み出すことこそが、その人の喜びだと考えるようになりました。

最初は喫茶店のようにくつろぎのひと時を提供するというタイプの生産物(商品)も、需要があったのです。

そして私もそのような認識で、「指導」よりも「くつろぎのひととき」を大事にしていた時期もあったのです。

しかし、教室を続けている間に、主たる需要(のパーセンテージ)は変化しました。

生徒さんがおもに欲しがっているのは、アプリ(動かし方)、生み出す力、技術であると認識するようになりました。

そして生産は士気を高めます。

「くつろぎのひととき」は、あまり生産物を生みません。

生徒さんは生産力を装備したくてやって来ている。

なのに、提供側がくつろぎのひとときだと思ってやっていたら、食い違いが出てしまいます。

生徒さんの希望(需要)に耳を傾けているうちに、供給すべき商品が変わってきたということです。

そして今では、「清原絵画教室の強みは技術の提供にある」と規定するようになりました。

それも小手先の技術ではなく、応用範囲の広い「技術を裏付ける考え方」こそが大事だと思います。

それは「なぜ?」を問うことです。

ちなみに、依然として私は「絵を描く力」と同じくらいに、「絵を届ける力」を大事だと思っています。

レッスン中描く時間を削ってでも、「提示すること」を重んじます。

絵を(効果的に)見せることや絵を観ることを軽視することは、次元が低いことです。

教室展において、どれだけ見せる(魅せること)に講師が心を砕いているかについて、想像してみてください。

私の努力を誇示したいから述べているのではありません。

大事なのはインターフェイス(異なる存在と存在が出会う場面)で
す。

供すること、サービングです。あえて申せば、描く力以上に、見せる(魅せる)力が大事なのです。

多くの企業を見てください。営業が強い会社は強いでしょう。

高度な技術力を持つ日本の家電メーカーよりも、その日本の製品を積んだサムソンの商品が売れるのはなぜ?それは営業の力です。

説得する力があるのです。

…話を戻しましょう。

資産である技術、知識、考え。

この需要に答えるために、私は一生懸命メソッド(プログラム)開発にもっと力を注ぎたいと思います。

清原絵画教室は技術の宝庫であると。

あそこのメソッドはどんな人でも描けるようにしちゃったよと。

そしてやがてはそれを記述(文字や音声や画像や動画で)し、手渡せるものにしたいです。

「強い(すぐれた)指導」から「強い(すぐれた)教材」へと、強みを移行させるべきだと思います。






























































清原絵画教室ウェブサイトの内容を更新しました。

実態と違ってきているのにずっと放置していて気になっていたのですが、ひさしぶりに内容を書き変えました。

教室のホームページ編集はHTMLという言語を使っていますが、なかなか使いこなせず、教室の日程を変えたり会場を変えたりするたびに本などを見ながらおっかなびっくりで書きかえている私です。

画像の挿入の仕方もよく分からないので、新しいものに差し替えないで、古い画像を削除しました。

そして今は、全く新しいサイト作りに着手しています。

独自ドメインを取得して、レンタルサーバー上にサイト作成システムをインストールしました。

今使っているサイト(=店舗みたいなもの)&サーバー(=土地みたいなもの)&ソフト(=建て方)とは異なる、別の店舗みたいなものです。

今度のサイトはウェブサイト作成「ソフト」ではなく、QHMというシステムを使って作ろうとしています。ウィキペディアのように、複数の人が編集できるシステムを応用して作られたものです。

それによって私には少々ハードルの高い命令言語HTMLを使わなくても、メール感覚でテキストや画像を楽に編集できるようになりました。

実は作家清原健彦のサイトを、それで作っています。

一応もう開設しています。

ドメインを取っていまして、そのドメインをを入力すればちゃんと清原健彦のウェブサイトが表示されます。

今は作品を並べたり文字を入れたりと、「内装工事」の最中ですので公開していませんが、皆さんに披露できるような状態になったら公開してお知らせしたいと思います。

そしてその同じ手法で、清原絵画教室の新サイトを準備しています。

そちらの方はいわば店の物件を手に入れた状態で、中身は何も手をつけていませんが、編集がかなり楽になりましたので、早く完成させてそちらを走らせたいと思っています。

とにかくサイト運営は編集が鍵です。

編集が楽でないと、教室本体の身動きも取りづらくなり、ストレスフルなものになるということを、学びました。

ということで、リアルの方もオンラインの方もがんばります。

よろしくお願いします。


















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私は画家「清原健彦」という屋号と「清原絵画教室」という屋号を持っています。

銘柄とかブランドという言いかたもできるかな?

サーバーを用意してそこに新しいサイトを設置する作業をしてみると、不思議なことにその屋号が自分の仕事の中でどんな位置づけにあるのか、意識するようになります。

画家は車メーカーにおけるF1に相当します。

莫大な経費とマンパワーをつぎ込んで研究開発し、戦う世界です。

F1チームは観戦チケットの代金で、人件費を含む費用をまかなっているのでしょうか?

多分ちがうと思います。

多分車を売った稼ぎの中からまかなっているのだと思います。

企業が利潤を追求するだけの存在だったなら、F1なんて要らないと思いませんか?

人間には、ゲームが要るんだと思います。あるいは物語が。

ホテルに例えるなら、メインダイニングです。一流のレストランです。

ここは儲からないんです。

採算度外視です。

ここではシェフは日常から遊離した料理を開発し、ギャルソンも支配人も王侯貴族に使える従者のようでなくてはなりません。

居酒屋のような「よろこんで~」のかけ声はありません。

客だってフォーマルにしないといけません。

それなりに疲れるんです。

でも物語を求めて、わざわざいろんな手続きというか、儀礼的なことをやるわけです。

かくいう私は、正~直、尖りに尖ったアートの最前線で戦いたいと思っています。

けれどもなかな経済的に難しいものがあります。

そこでその活動を支える経済基盤が要るのですが、多くのニーズに対応した商品またはサービスが望ましい。

私の中でこの位置にあるのが、絵画教室になります。

そしてこれを決して「資金源」などと見てはいけないということを強調したいと思います。

お金はあくまでエクスチェンジ(交換)です。生産物に対しての交換です。

ニーズを向けてくださることをうれしく思い、そのニーズを圧倒的に上回る豊かな生産を提供する。それが喜びなんだ、ということを私は最近、よく思います。

そして昨年あたりから、教室に加えてクラフト(かばんなど)や廉価な絵を売る、そして注文制作というのが加わりました。

親しみやすい、お手頃な感覚でお買い求めいただけるものです。

車でいうところの市販モデル。一般ユーザーのニーズに答えた安いものです。

ホテルでいうところのロビーラウンジです。

そしてカーライフを楽しむスクールやイベントがあったり、ホテルライフを楽しむジムやイベントがあることで、それらが有機的に結びつくのです。

このようなビジネスモデルを美術作家が考え、述べることは不純でしょうか?

美術作家清原健彦のブランドをおとしめることでしょうか?

私はそうは思いません。

アーティストとして、社会人としてこの人生を全うするために採用する手段にすぎず、純粋さを損ねるものではないと思います。

.◆璽謄スト、安い商品(クラフトなど)、6擬爾蓮△修譴召譴紡臉擇併?箸任后

それぞれの事業にに一つずつサイトを用意しようと思います。

そしてサイトに、提供と集客をやってもらおうと思います。







































































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