清原絵画教室の生産物とは何でしょう。
生産物とは、何か有用なもので、お金や何かと交換できるものです。
発足当初と今では、生産物が変わったのだと思います。
はじめは、時間と空間でした。
生徒さんに充実した時間と空間を提供することを目指していたと思うのです。
しかし今はそれが変わりました。
それは技術や知識です。
生徒さん自身が一人で絵をおしすすめていくのに必要な装備、処理能力のインストールです。
それは資産となります。
時間や空間はどうでしょうか。
どちらかといえば、その時間や空間が何かを生み出すことはないと思います。
資産とは言いにくいものです。
私は、指導の日々の中で、生徒さんが作品を生み出すことこそが、その人の喜びだと考えるようになりました。
最初は喫茶店のようにくつろぎのひと時を提供するというタイプの生産物(商品)も、需要があったのです。
そして私もそのような認識で、「指導」よりも「くつろぎのひととき」を大事にしていた時期もあったのです。
しかし、教室を続けている間に、主たる需要(のパーセンテージ)は変化しました。
生徒さんがおもに欲しがっているのは、アプリ(動かし方)、生み出す力、技術であると認識するようになりました。
そして生産は士気を高めます。
「くつろぎのひととき」は、あまり生産物を生みません。
生徒さんは生産力を装備したくてやって来ている。
なのに、提供側がくつろぎのひとときだと思ってやっていたら、食い違いが出てしまいます。
生徒さんの希望(需要)に耳を傾けているうちに、供給すべき商品が変わってきたということです。
そして今では、「清原絵画教室の強みは技術の提供にある」と規定するようになりました。
それも小手先の技術ではなく、応用範囲の広い「技術を裏付ける考え方」こそが大事だと思います。
それは「なぜ?」を問うことです。
ちなみに、依然として私は「絵を描く力」と同じくらいに、「絵を届ける力」を大事だと思っています。
レッスン中描く時間を削ってでも、「提示すること」を重んじます。
絵を(効果的に)見せることや絵を観ることを軽視することは、次元が低いことです。
教室展において、どれだけ見せる(魅せること)に講師が心を砕いているかについて、想像してみてください。
私の努力を誇示したいから述べているのではありません。
大事なのはインターフェイス(異なる存在と存在が出会う場面)で
す。
供すること、サービングです。あえて申せば、描く力以上に、見せる(魅せる)力が大事なのです。
多くの企業を見てください。営業が強い会社は強いでしょう。
高度な技術力を持つ日本の家電メーカーよりも、その日本の製品を積んだサムソンの商品が売れるのはなぜ?それは営業の力です。
説得する力があるのです。
…話を戻しましょう。
資産である技術、知識、考え。
この需要に答えるために、私は一生懸命メソッド(プログラム)開発にもっと力を注ぎたいと思います。
清原絵画教室は技術の宝庫であると。
あそこのメソッドはどんな人でも描けるようにしちゃったよと。
そしてやがてはそれを記述(文字や音声や画像や動画で)し、手渡せるものにしたいです。
「強い(すぐれた)指導」から「強い(すぐれた)教材」へと、強みを移行させるべきだと思います。