清原絵画教室のブログ

神戸で絵画を学ぶ。初心者からプロまで。

2014年10月

今日の仕事。ちょっと前に描いたスケッチに加筆。
来年の教室展で、子どもたちとのコラボ企画を考えています。
キッズたちに混じり、私も参加しようかな~と思い怪獣を考えてみました。
ウルトラマン世代なので、今の子たちとは若干作風にジェネレーションギャップがあるかも^^;と思いつつ結構マジになってしまいました。
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ちなみにウルトラ怪獣のデザインを担当した成田 亨(なりた とおる)は興味深いことを言っています。
以下ウィキペディアより引用
成田はコスモス(秩序)の象徴としてのウルトラマンに対し、怪獣はカオス(混沌)の象徴という理念でデザインした。あらゆる生物や無生物からヒントを得ながらも意外性を求め、自由な変形や組み合わせにより独創的な形の創造を目指した。演出家や監督は、ウルトラマンに対峙する怪獣は恐ろしい外見をした悪役らしいインパクトのある物にしようと考えていたが、成田は内臓が露出していたり、顔が崩れていたりする嫌悪感を示すような怪獣は子供番組に適さないと考えた。そこでウルトラ怪獣のデザインに当たり、
1.怪獣は妖怪ではない。手足や首が増えたような妖怪的な怪獣は作らない。
2.動物をそのまま大きくしただけの怪獣は作らない。
3.身体が破壊されたような気味の悪い怪獣は作らない。
という三原則を打ち出した。また、侵略宇宙人のデザインについて、「地球人にとっては悪でも、彼の星では勇者であり正義なのだから、『不思議な格好よさ』がなければいけない」とも述べている。
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ゲルハルト・リヒターについて描きます。
リヒターのすごさは言説の鋭さにではなく、圧倒的な量の生産にあるのだと思います。
約20年前、新宿の画廊で開かれた来日展で作品を観たとき、絵から届いてくる強さ、直截さが胸に響きました。それは文学の持つくぐもりとは全く異質な何かでした。リヒター作品には、私が影響を受けたキリコやエドワード・ホッパーやアントニオ・ロペス・ガルシアの作品がたたえている文学的な翳りが全くと言っていいほどない。
そして翌日、山手線の中で前夜観たリヒター作品の余韻の中で、「あ、おれ、リヒターの背中に手が届くな」と思ったのをよく憶えています。それはたしかに慢心にちがいないのですが(なぜならその後私は追いつかず今に至っているのですから)、それよりも大事なことは、リヒターが私に「何か非常に高いところにに到達できる」という感覚を与えたことであり、その感覚がくつろいだ気分とともに与えられた、ということなのです。それこそ彼のがすごさの本質であったと、後年私は認識しました。
所有性(=何かを持っていいんだ、何かをコントロールしていいんだ、できるんだ、という感覚)が高まったのです。...
それ以来、ほんとうの神(偉大なアーティスト)はひれ伏す対象ではなく、肩をくんで洒落を言い合えるおっさんなんだ、というイメージを持っています。そしてその感覚は人格からではなく、作品からもたらされたということが、すごいと思うのです。
そして胸に届いてくるリヒター作品のクオリティは、圧倒的な量からもたらされたものなのだ、ということが肝心なのだと私は思います。

わたくしの日常の中で目にした小アートのスナップをお楽しみください。
あえてコメントなしで。
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ある土曜日の日の峰教室をご紹介します。
↓息子が作ったオブジェをモチーフにして油絵を描くお母さん。コラボですね。
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↓オリジナルメソッド「徐行描き」に打ち込んでいます。
最近徐行描きに費やす時間は大幅に短くなりましたし、みなさん確実に成果を出しています。
初心者でも、たくさんのモチーフに圧倒されることなく直面できるようになります。
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↓パステル画に挑戦中。
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↓小6生徒作品。生きている空間の中にこういうものがあると、芸術の香が漂う気がします。
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↓来年の教室展縁日に向けての実験。
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猫の絵の経過をご覧ください。
ウォーターフォード水彩紙 サムホールにはがき大の絵を2枚。
↓①鉛筆で下描きします。
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↓②1層めの水彩着彩
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↓③さらに加筆。
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↓④さらに加筆。サインを入れて完成
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