清原絵画教室のブログ

神戸で絵画を学ぶ。初心者からプロまで。

2015年04月

ご注文の水彩画。犬と娘さん。
デッサン↓
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それに着色して完成↓
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額装して今日、お渡ししました↓
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ご家族の写真をお預かりして、絵を描いています。贈答、記念、インテリアに、絵を贈ったり飾るのは素敵です。お客様と一緒に相談しながら描く作業は、共同作業のような楽しさがあります。ご相談、承っています。お気軽にどうぞ。



ご注文の水彩画。
デッサン↓
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それに着彩して完成↓
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作品制作や教室の傍ら、ペットの絵の注文制作も承っています。お気軽にご相談ください。

ご注文の水彩画。
デッサン↓
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それに着色して完成↓
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こちらは予備案(最初ざくっとした感じでこの絵を描きましたが、お客様に選ばれたのは2番目である上のバージョンでした)↓
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そのデッサン↓
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ペットの絵のご注文、承っています。お声掛けください!



今週は県に助成金申請を出しました。
過去の活動実績の資料として、今までの教室展のはがきを添付しました。

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ホドラー展。
ホドラーも見ごたえがあった。
最終日の閉館1時間前に入って観た。
イマイチだろうとタカをくくっていたら、予想外によかった。

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↑ホドラー


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↑セザンヌ

私はホドラーとセザンヌに、ある類似性を感じた。
自然に対する畏敬(ひざまずき)と分析(解剖またはひっぺがし)の融合のありさま。
それぞれの作品に、そんな気配が共通して漂っている。

偉大な対象への憧れと統治支配が一人の人間の中に共存している。偉大な対象を畏敬しながら同時に正確に評価・分析・判断を与えることができる能力。それこそ、西洋近代の詩学の特徴ではないかと、時々思う。

セザンヌとホドラーは(多分)接点を持たぬまま、同時代を近代の美術家として生きた。
欧州全土を覆う近代精神の中で、似たような志向を二人が持ったのは、いわゆる共時性のなせるわざか。

もう一つ、共通の切り口がある。リズムである。ホドラーはリズムを重視した。だから画面には反復する律動があり、バイブレーションを起こしている。観る者はその波を浴びて元気になるのではないか。

そのような律動がセザンヌにもある。しかもホドラー以上に強く、意識的に。
音楽的リズムって大切なんだ、と思った。そのような概念は日本の美術教育には存在しない。

それにしても多作だ。圧倒的物量の生産が、勢いと技の高まりをもたらすのだと改めて思った。たくさん描くこと自体が即練習となり、画家の腕(技量)を上げることを痛感した。

こうして一日、美術の旅を私はした。
本当の旅では味わえない、異次元空間を持つ、遠い魂の世界を駆け回ったようだ。
次の日にプールで泳いだが、おかげで全く疲れなかった。


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